宮城県気仙沼市の気仙沼大島。
8年前の東日本大震災では、津波で33人が亡くなり、島全体の4割にあたる1404棟が被災しました。
島と気仙沼港を結ぶフェリーも流され、気仙沼市内からの給水管も破損。
孤立した島民が、断水のためプールや沢の水を飲んで耐え忍ぶなか、真っ先に助けに来たのはアメリカの海兵隊でした(トモダチ作戦)。
この島の「みちびき地蔵」は、「明日死ぬ者の魂が亡者の姿となって挨拶に来る」という伝説があり、明治三陸津波の前日には、「亡者の姿となったたくさんの村人や、牛馬までもが次々と現れた」と語りつがれ、「まんが日本昔話」でも放送されました。
2019年の4月7日には、念願の「気仙沼大橋」が開通、気仙沼市内までの道路がつながりました。
それに先立つ3月11日には、気仙沼市に「東日本大震災遺構・伝承館」がオープンしています。
津波で校舎の4階までが被災した旧向洋高校をそのまま保存し、震災遺構として展示している貴重な施設です。
3階の教室には、津波で流されてきた車が今もそのままです。
この施設では、被災した校舎のリアルな展示に加え、大きなスクリーンによる震災の映像や被災の体験談が常時上映されています。
津波の後の火災で燃え盛る気仙沼市内の映像は、胸に迫るものがあります。
海のない埼玉県に津波は来ませんが、大きな地震のあとに火災の発生は十分にあるのです。(地震で発生した火災には、火災保険が適応されません。地震保険が必要です。)
気仙沼市は東北道から、仙台東部道路、三陸道経由で450km。
温泉のあるホテルもある港町です。
この夏は、気仙沼の海の幸を楽しみましょう。
海と山の両方が楽しめる三陸道は、バイクのツーリングにも最適です。
さらに「奇跡の一本松」で有名な岩手県陸前高田市もすぐお隣。
復興が進む三陸の海の街を自分の目で見てみましょう。
【さいたま市防災アドバイザー・ 加倉井誠】
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